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南インド 1995年

JUGEMテーマ:旅行

 

 1995年3月、十数年ぶりにインドへ行った記憶を

 

メモ代わりに書き出してみます。

 

初めて南インドに行ったとき、エアインディア、成田発ムンバイ経由バンガロール着

 

で行きました。当時はバンガロール乗り入れ便はシンガポール航空しかなかった

 

ようで、それも知りませんでした。今ではバンガロール(ベンガルール)乗り入れ便は

 

タイ航空、マレーシア航空、キャセイパシフィック航空等ベンガルールの空港が

 

ケンペゴウダ国際空港に代わってからはたくさん乗り入れています。
エアインディアも今はデリー経由で早く行けます。エアインディアは当時はムンバイ経由しかなく
ベンガルール当日乗り入れは出来ませんでした。
向かった先はプッタパルティ、。航空機チケットはHIS手配。
ベンガルールの空港からインドの車アンバサダーに相乗りで4時間かけていきました。
今は空港も移転して近くなりそれに高速道路でわずか2時間で行けます。
時代は変わった。しか肉体のババのダルシャンは受けられません。
肉体のババのダルシャンはプレマサイまではしばらくの辛抱でしょう。
プッタパルティでは、はじめシェッドと呼ばれる倉庫のような所に
寝泊りさせていただきました。一泊10ルピー位で、ヨーロッパ人もいる
外国人シェッドにしばらくいました。シバラトリが終わってアシュラムが
空くと4階建て位のベットも何もない部屋に3人で相部屋となりました。
エクアドルともう一人の南米の人と相部屋でした。
アシュラムには日本人が多数いてグループになってそして毎日ミーティングもあって
楽しく過ごさせていただきました。アシュラム内の食事はとても
恵まれていておいしいものでした。ウエスタンキャンティーンでは
西洋風の食事が格安で出来てとても助かりました。しかし下痢はしました。
1995年は阪神淡路大震災のあった年です。
その時、運よくババのグループインタビューを頂きました。
インタビューの内容は 神は遍在 と言う本の中に残されています。
指輪の物質化も見ていましたが、何が起きたのか見ていてもわかりませんでした。
物質化した指輪を見るととても精巧に出来たものでこんな精巧なものが
人間に出来るのかと思うくらいに精巧なものでした。このぐらいで後に続く、。

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